赤ちゃんが生まれる。
それは、とてもおめでたいことです。
家族に新しい命が誕生する。
みんなが喜ぶ。
「おめでとう。よく頑張ったね」
「可愛いね」
「この目、誰々に似てるね」
「この生え際、子どもの頃の○○ちゃんにそっくり!」
「泣き声さえ可愛い」
「あ、あくびした!」
「くしゃみした!」
何をしても可愛い。
家族みんなの注目や関心は、赤ちゃんと、新米のお母さん、お父さんに注がれていきます。
けれど、その一方で、
家族の中の、見えない心の深いところでは、別のことが起きている場合があります。
たとえば、それまで家族の中で、
「大学を卒業した。おめでとう」
「就職が決まった。すごいね、おめでとう」
「仕事がうまくいっている。素晴らしいね」
と、ずっと「おめでとう」をもらっていた人。
お祝い金をもらったり、みんなから祝福されたりして、
「自分が家族の中心になれている」
そんな感覚を持っていたかもしれません。
ところが、赤ちゃんが生まれた途端、その注目が一気に赤ちゃんへ向かいます。
この小さな、か弱い存在。
まだ何もできない。
でも、泣けば、家族みんなが一斉に振り向く。
「どうしたの?」
「お腹空いたの?」
「眠いのかな?」
「可愛いね」
みんなの視線が赤ちゃんに集まる。
それを見ているうちに、心の深いところで、
「私、負けた」
と感じてしまうことがある。
赤ちゃんに負けた…。
「私が家族の一番下だったのに」
「俺がみんなから可愛がられていたのに」
「私がみんなの注目を集めていたのに」
自分が今まで座っていた「家族の中心」という椅子を、この小さな赤ちゃんに取られたように感じる。
「私が今まで座っていた椅子なのに」
「私が今までもらっていたものなのに」
そんな感情が、心の深いところから湧いてくる。
そして、それはとても苦しい感情です。
なぜなら、
「赤ちゃんなんて可愛くない!」
なんて、普通は言えないからです。
本当は、
「私も見てほしい」
「私のことも気にかけてほしい」
「私も大事にしてほしい」
なのに、それを言うことができない。
だから、
「可愛いね」
と、みんなに合わせて言う。
笑顔を作る。
赤ちゃんに会いに行く。
「おめでとう」と言う。
でも、心の中ではモヤモヤしている。
そして、その自分自身を責める。
「私って、大人げない」
「なんでこんな気持ちになるんだろう」
「赤ちゃんに嫉妬するなんて、最低だ」
「こんなこと、誰にも知られたくない」
恥ずかしい。
苦しい。
だから、余計にその感情を隠そうとします。
そして、別の理由を探します。
「ちょっと体調が悪くて」
「今日は忙しくて」
「赤ちゃんのいるところは苦手だから」
「あまり会いに行く気分じゃなくて……」
そうやって、赤ちゃんに会うことを避ける。
周りからすると、
「どうして、この人は赤ちゃんをそんなに避けるんだろう?」
「どうして、あんなに不機嫌なんだろう?」
「どうして、おめでたいことなのに喜べないんだろう?」
何が起きているのかわかりません。
でも、心の中では、
「私の場所を取られた」ということが起きている。
私は、これを
「大人の赤ちゃん返り」と捉えています。
そして、その背景には強い嫉妬心があります。
「赤ちゃん返り」は、子どもだけのものではない
「赤ちゃん返り」というと、弟や妹が生まれた子どもが、急に甘えたり、わがままを言ったり、お母さんにべったりになったりする姿を思い浮かべる人が多いでしょう。
それまで自分が一番小さくて、みんなから可愛がられていた。
ところが赤ちゃんが生まれた。
お母さんは赤ちゃんを抱っこする。
お父さんも赤ちゃんを見る。
おじいちゃん、おばあちゃんも赤ちゃんを見る。
自分を見てくれる人がいなくなったように感じる。
だから、
「私も赤ちゃんみたいにして!」
と、心が赤ちゃんのような状態に戻っていく。
ところが、
これは、子どもだけに起こることではありません。
大人にも起こります。
20歳でも、30歳でも、40歳でも、50歳でも、60歳でも。
もっと年齢を重ねても起こります。
たとえば、おじいちゃん、おばあちゃんにだって起こる。
初孫が生まれる。
それまでは、
「おじいちゃん!」「おばあちゃん!」
と、家族の中でちやほやされていた。
みんなから、
「元気?」
「大丈夫?」
「おじいちゃん、ありがとう」
「おばあちゃん、ありがとう」
と、関心を向けてもらっていた。
ところが、赤ちゃんが生まれた途端、
「赤ちゃん、可愛い!」
「赤ちゃん、どうしたの?」
「赤ちゃん、泣いてる!」
と、みんなの関心が赤ちゃんに集中する。
最初は、「可愛いね」と喜んでいた。
ところが、そのうち、なんだか面白くない。
自分が後回しにされる。
自分の言うことを誰も聞いてくれない。
なんとなく不機嫌になる。
わがままを言う。
「あれはしない」
「これは嫌だ」
「そんなこと言ったって……」
と、理屈を並べる。
家族は、
「もう、おじいちゃんなんだから!」
「いい大人なんだから!」と困ってしまう。
でも本人の中では、
「私のことを見て」が起きているのです。
「私のほうが先だったのに」
大人の赤ちゃん返りが起きるとき、心の中では、こんなことが起きています。
「私のほうが先だったのに」
「今まで私だったのに」
「どうして今は、あの子ばかりなの?」
「私だってもっと構ってほしい」
「私だって大切にしてほしい」
「私のことも見てよ」
でも、そんなことを言える大人は、なかなかいません。
だから、別の形で出てきます。
不機嫌。無視。
批判。理屈。
体調不良。拒否。
わがまま。
相手を避ける。
そして、ときには「正しいこと」を言い始めます。
「赤ちゃん中心になりすぎじゃない?」
「もっと夫婦のことを大事にしたほうがいいんじゃない?」
「そんなに甘やかしたらダメだよ」
もちろん、その言葉の内容自体が間違っているとは限りません。
でも、その奥に、
「私を見て」
が隠れていることがあります。
本人も、そのことに気づいていない。
だからこそ苦しいのです。
赤ちゃんがいなくても、「私の場所を取られた」は起こる
この心の動きは、赤ちゃんが生まれたときだけに起こるわけではありません。
たとえば、職場でも起こります。
ある人がパートとして入社しました。
最初の頃は、みんなが優しくしてくれました。
仕事も手取り足取り教えてくれる。
「大丈夫?」
「わからないことがあったら聞いてね」
と、気にかけてもらえる。
新人ですから、当然です。
本人も嬉しい。
「この職場、いいところだな」と思う。
ところが、3か月後、
新しいパートさんが入ってきました。
今度は、みんながその人に仕事を教え始めます。
「これはこうやるんですよ」
「わからなかったら聞いてくださいね」
「最初は大変ですよね」
みんなが、その新人さんを気にかけている。
すると、今まで新人だった人の心に、モヤッとした感情が出てくる。
「私も、もっと教えてほしいのに」
「なんであの人にはそんなに優しいの?」
「私はもう、自分でできるでしょっていう態度を取られている気がする」
そして、だんだんその新人さんが羨ましくなる。
「いいなあ」
「私もあんなふうに優しくしてほしい」
でも、
「私も構ってほしい」
とは言えない。
だから、
「なんだか、この職場、私に合っていないのかも」
と思い始める。
さらに苦しいのは、
嫉妬している自分が嫌いになること。
「私、何やってるんだろう」
「こんなことで嫉妬するなんて」
「大人げない」
そうやって、自分を責める。
でも、もし心の奥にいる自分を少しだけ見てみたら、
「私も、もう一度優しく教えてほしかった」
「私も、まだ新人みたいに大事にしてほしかった」
「私のことも見てほしかった」
そんな小さな声があるのかもしれません。
おじいちゃん(お父さん)にも起こる
もう一つ。
娘夫婦に赤ちゃんが生まれた、お父さんの話です。
娘が出産しました。
奥さんは、産後の娘の手伝いをするために、3週間ほど家を空けました。
家の中は、がらんとしています。
そこで、お父さんは思う。
「俺の世話は誰がしてくれるんだ」
普段なら、妻がいてくれる。
ご飯がある。
話をする相手もいる。
でも、その妻がいない。
寂しい。
そして、ようやく妻が帰ってくる。
「ああ、よかった」と安心する。
少し落ち着いてから、夫婦で娘夫婦の家へ孫を見に行く。
当然、妻は大喜び。
娘に、
「大丈夫?」
「ちゃんと食べてる?」
と声をかける。
赤ちゃんを抱っこする。
赤ちゃんのお世話をする。
娘のことも気にかける。
その様子を横で見ている夫。
なんだか面白くない。
妻は娘と赤ちゃんにかかりきり。
俺のことは、ほったらかし。
だんだん不機嫌になる。
ムウッとしている。
そして、そのまま家に帰る。
妻から、
「なんであんな態度を取るの?」と怒られる。
本人も、
「いや……別に」
と言うしかない。
でも、あとになって気づく。
「俺、妻を取られたと思ったんだ」
妻を娘と赤ちゃんに取られた。
だから拗ねた。
まるで2歳児のようだ。
「大人げないな、俺」
そう思う。
でも、その気持ちは、どうにもできなかった。
これも、大人の赤ちゃん返りです。
「ずっと一番下だった人」が、初めて味わう苦しさ
兄や姉は、ある意味で少しだけ経験しています。
自分より小さい子が生まれる。
それまで自分に向いていた親の関心が、赤ちゃんに向かう。
お兄ちゃん、お姉ちゃんになる。
もちろん、それでも寂しい。
でも、一度経験している。
ところが、ずっと末っ子だった人。
家庭の中でずっと「一番下」だった人。
あるいは、職場などでずっと「教えてもらう側」「可愛がられる側」だった人。
そんな人が、人生の途中で突然、
「あなたはもう一番下ではありません」
という状況に置かれることがあります。
そのとき、本人にとっては初めての感情が一気に出てくる。
悔しい。
悲しい。
寂しい。
腹が立つ。
惨め。
取り残された感じ。
そして、「人生お先真っ暗」
くらいの感覚になることさえある。
周りから見たら、
「そんなことで?」
と思うようなことでも、
本人の中では、とても大きな出来事なのです。
だから、人間関係で何度も繰り返す
この「赤ちゃん心」が十分に癒されていないと、人生のいろいろな場面で同じことが起こります。
職場で誰かが評価された。
友達に新しい友達ができた。
パートナーが誰かを大切にしている。
子どもが結婚した。
孫が生まれた。
家族の誰かが成功した。
自分より後に入った人が先に認められた。
自分より若い人が注目されている。
自分がずっと欲しかったものを、誰かが簡単に手に入れた。
そのたびに、
「私の場所を取られた」
という感覚が出てくる。
そして、嫉妬する。
避ける。
怒る。
不機嫌になる。
相手を批判する。
あるいは、
「私は別に欲しくない」
「私はそんなものに興味がない」
と強がる。
でも、本当は欲しかった。
本当は、羨ましかった。
本当は、
「私も!」
だった。
そして、大人は「正当化」が上手です
子どもだったら、
「ママ、私も!」
と言えるかもしれません。
でも、大人はそう簡単には言えません。
だから、心理学の理論を持ち出したり、正論を言ったり、相手の問題を指摘したりする。
「それは依存だから」
「自立できていないから」
「そんな育て方をしたらダメ」
「もっとこうしたほうがいい」
「それは投影です」
もちろん、本当にそういう問題がある場合もあります。
でも、ときにはその正論の奥に、
「私を見て」
という赤ちゃん心が隠れていることがあります。
だから、自分の心を見るときには、
「私は正しいか?」だけではなく、
「私は今、何が寂しいんだろう?」
と見てみる。
「本当は何をしてほしかったんだろう?」
「誰に見てほしかったんだろう?」
「何を取られたように感じたんだろう?」
そうやって、少しずつ自分の心の奥にいる小さな自分を見つけていく。
「こんな感情がある」と認めるだけでも違う
大切なのは、
「赤ちゃんに嫉妬するなんて最低」
ではありません。
「夫を取られたように感じるなんて、大人げない」
でもありません。
「新人に嫉妬するなんて、恥ずかしい」
でもありません。
まずは、
「ああ、私、寂しかったんだ」と気づく。
「私も見てほしかったんだ」と認める。
「私の場所を取られたように感じたんだ」とわかってあげる。
それだけでも、感情は少し違ってきます。
赤ちゃん心を消す必要はありません。
嫉妬心をなくす必要もありません。
人間である限り、そういう感情は出てきます。
むしろ、
「こんな感情を持ってはいけない」
と押し込めるほど、別の形で出てくることがあります。
だから私は、
赤ちゃん心を癒して、躾けて、育てていく
ということを伝えています。
私自身も、本当に苦しかった
これは、誰かを外から分析して、
「あなたは赤ちゃん返りしていますよ」
と言いたいわけではありません。
私自身も、本当に苦しかったからです。
いくつになっても出てくる。
1歳でも。
10歳でも。
20歳でも。
30歳でも。
40歳でも。
50歳でも。
60歳でも。
70歳でも。
90歳でも。
犬も猫も(笑)。
年齢を重ねれば、自然に消えていくものではない。
人生の中で、
「私のことを見てほしい」
「私を一番にしてほしい」
「私を大切にしてほしい」
という心は、何度も顔を出します。
だからこそ、
「もう大人なんだから」
と、その心を切り捨てるのではなく、
「ああ、また出てきたね」
と見てあげる。
「寂しかったね」
「悔しかったね」
「取られたと思ったんだね」
「本当は私も見てほしかったんだね」
と、自分の中の小さな自分に気づいてあげる。
それが、赤ちゃん心を育てていくことにつながるのだと思っています。
赤ちゃんは悪くない
そして、最後に一つ。
赤ちゃんは、何も悪くありません。
職場に入ってきた新人も、悪くありません。
娘と赤ちゃんを一生懸命に世話している妻も、悪くありません。
誰かが注目されることも、悪くありません。
誰かが愛されることも、悪くありません。
ただ、
自分の中に「取られた」と感じる心がある。
それだけです。
その心を、
「こんなことを思う私はダメ」
と責めるのではなく、
「そう感じていたんだね」
と見つけてあげる。
そうすると、
「相手をどうにかしなければ」
ではなく、
「私は自分の心をどうしてあげよう?」
という方向へ向かうことができます。
これは、人間関係を変えるうえで、とても大きな違いです。
ずっと存在している「赤ちゃん心」
私たちの中には、
まだ赤ちゃんのままの心が、たくさん存在しています。
大人になったからといって、
全部が大人になるわけではありません。
社会的には立派な大人でも、
心の中には、
「ママ、こっち見て」
「私も抱っこして」
「私も大事にして」
「私を置いていかないで」
という、小さな自分がいる。
その子を恥ずかしいものにしない。
追い出さない。
「もう大人なんだから」と黙らせない。
ちゃんと見つけて、
癒して、
躾けて、
育てていく。
私は、それを
「赤ちゃん心を育てる」
と言っています。
人生の中で何度も繰り返される、
「取られた」
「私よりあの人」
「私のことを見てくれない」
という苦しさから、少しずつ自由になるために。
そして、
誰かが愛されているときに、
「私の愛が減ったわけじゃない」
と思える自分になっていくために。
赤ちゃん心は、なくすものではない。
育てていくものなのだと思います。
---
西谷真美の赤ちゃん心理学
~恋愛も、ビジネスも、「赤ちゃん心」を育てると最強!
大人になっても、心の中には「赤ちゃんのままの心」がいる。
その心を責めるのではなく、癒して、躾けて、育てていく。
「赤ちゃん心理学」という視点から、恋愛、人間関係、仕事、ビジネス、親子、そして人生について、お伝えしています。


